はじめに


私が長い時間をかけて身につけたものが、誰かの役に立てばと思いホームページを公開しました。と言っても、何かを悟ったり、スゴイことをマスターしたわけではありません。ほんの少しだけ、からだを整える方法をつかんだにすぎません。
ここに書かれていることは、私個人のからだを通して得た技術と感覚です。感覚には個人差があり、合う合わないがありますので、ご参考程度にして頂ければと思います。


私は「立つ」ことに興味を持ち、どうしたらよい立ち方ができるのだろうかと、ずっと考えてきました。そして「立ち方」には、意識の有り様(持ち方)が関係していることがわかりました。意識には喜怒哀楽のような感情だけでなく、何気なく考えていることも含まれます。私たちは普段、物事を相対的に観ているのですが、それをひとつに観るようにすると、立ち方が変わり、よい立ち方ができます。ひとつに観るために「透明に観る」というイメージをします。「透明に観る」ことは、モノをひとつに観ながら同時に相対的にも観るという「双眼」につながります。

「透明に観る」ことにより良い立ち方ができたときの快感や充実感は、他に類を見ません。それは肉体が外からの刺激によって得られる快感とは違い、また目標を実現したり、他人に評価されることによって得られる達成感とも違います。抽象的な言い方になりますが、身心の普段使っている処とは違う処(基準)が満足する感じです。


ツイッターやブログで具体的な方法を紹介していますので、一人でも練習することができます。また月に一度、東京の国立市で練習会を開いていますので、そちらに参加することもできます




からだと意識は「身心一如」であり、互いに影響しあっています。、それぞれ単独で整えるのではなく、「からだと意識」の両方を使って、「からだと意識」の両方を整えます。 「透明を観る(双眼で観る)」ことで得られるものは健康だけにとどまらず、新しい物の観方(生き方)、コミュニケーション能力、幸福感など多岐にわたります。


「透明に観る(双眼で観る)」と

@からだのバランスがよくなる
余分な力が抜けて、動きやすいからだになります。からだに一体感が生まれ、全身を使えるので、特定の部位だけを使い過ぎたり、痛めたりしづらくなります。

A自分らしくなる
「透明を観る(双眼で観る」ことによってキチンと立つことができると、「ああ、自分らしくなった」と思えます。

B現状に満足する
「現状に満足する」ことはそうあることではありません。人が日常で満足するときは、自分の求めているものが手に入ったときなど思い通りに事が運んだときです。そのとき、それは前よりも良くなるという比較が基準になっています。対して現状に満足するというのは、比較ではなく、現状肯定です。「キチンと立てた」ときに、理屈ではなく、内側から現状を肯定する気分が湧いて来ます。 また、普段は感じることのない「快感」もあります。この快感は「透明に観る(双眼で観る)」ことによりキチンと立つことができて、はじめて感じられる快感です。

「透明を観る」というイメージは身心を整えるために使う特別の意識です。その意識は、瞑想などでありがちな美しいイメージやポジティブな考えではなく、「物事をひとつに観る」という観方です(禅や老荘思想の観方に似ています)。

何故「物事(眼に観える物もの)をひとつに観る」とからだが変わるのでしょうか?おそらく、そういう物の観方(イメージ)が、普段の脳の使い方と違うからです。物事を比較・分別し相対的に考えるのに対して、「ひとつだと思う」というのは、普段とは百八十度違う特別な考え方です。それが結果的にからだを変えることになるのではないかと考えています。


写真で見る立ち方の変化

こちらのブログをご参照ください。